GIRLIE
リエ多め、某アジアのスーパースター多め、BFドール・アゾンドールが進出中
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リカちゃんキャッスルオープン30周年記念パーティin福島に行ってきたよその2
社長登場&挨拶
ずっとリカちゃんが後ろで聞いてくれてたよ。
青字はできるだけご本人の言葉で、黒字は私の主観です。
今日は他の回とは違って、ネクタイをしていません。
みなさんをお招きする立場ではなく、
キャッスルのスタッフも参加者と一緒にご飯を食べたり飲んだり、楽しませてくださいって。
それで福島会場はより特別な会なんだなって思いました。
他の会場では、台本作ったんだけど、今日は無いとおっしゃっていたので、
思いをそのままお話ししている感じでした。
タカラに勤めていた2007年(2006年だったかも?)に、
当時の佐藤会長から、直々に
リカちゃんキャッスルに行って、
リカちゃんの国内販売・製造、と、キャッスル観光施設としての機能を守り続けてほしい。
これは転籍で片道切符、戻りはない。
と命じられたそうです。
ずっと続けていくって大変。社長の使命を感じました。
(2000年前後(うろおぼえ)から、タカラとしてのリカちゃんの製造がどんどん海外に移り、
現在では完全に海外です。ここでキャッスルがなくなっていたらと思うと恐ろしいですね。
キャッスルのおねえさんたちの技術が残って本当に良かったと思います。)
そこから、4つの出会いについて話してくれて、
1人目がリカちゃんの展示もされているさとるさん。
震災の時に再開館した時に、さとるさんが来てくれて力になったと。
2人で定期的に飲んでるとおっしゃってました。(お酒、いいね!)
2人目がデザイナーの木村さんです。
当時、博多さんが
お客さんたちがスタイリングして着せ替えした写真をファイリングしていたそうで、
その中に木村さんのお人形があったそう。
その頃のキャッスルドールは、余ったタカラの既製品ドールの服を着せていて、
それをファンが「追い剥ぎ」と言ってたのが、社長は気になっていたらしく、
木村さんをデザイナーとして採用して服を作ることに
(ファンとしてはキャッスルのクオリティの高いお人形にタカラのとんちきなお洋服が着せられているのも味があったというか、工場の産直っぽくてそのギャップも楽しんでいたと思います。
何着もあるビーズヘアジュディの服と、スクールガールティモテ手の服。みたいに)
木村さんは作家活動もあるので、最初は1年の契約社員として、だったのそうですが、
総務の方が正社員として契約してしまっていた、とのことでした。
(これ、ほんとかなぁ?社長がそうしたんじゃないかなあ??)
もし木村さんが1年でキャッスルを去ってしまっていたら、お城は今のようになっていないのでよかったです!
3人目が協力会社のワンピースの社長さん。(社名間違っていたら申し訳ありません)
キャッスルの彩色シューズとか、ドールの腕とかはこちらの会社が作ってるんですって。
あとはイベント用の在庫の管理もしてらっしゃるそうです。ここはほんとにうろおぼえ
キャッスルのお人形はキャッスルスタッフのみで作ってると思ってたので意外でした!
そんで、4人目がね、
まるっと覚えてないんです。ごめんなさい!
ここで、「ここにいる皆さんです」とか言ったら、ハーイ感動。
だと思うけど、違ったと思う。
福島の方にとって震災は特別な気持ちがあると思います。
私は宮城の人間なのでその気持ちを完全に分かることはできないけど、
これからも理解していきたいと思っています。
震災の時の、原発から30キロしか離れてない距離で、子どもの施設をやるのはもう無理だという絶望感の中、
放射線量が案外低いことがわかって、当時社長が担当していたブログに「小野町あんしん情報」を出し始めてみたところ
携帯の通知が鳴りやまず、みなさんの応援がすごくて、それがとても力になったそうです。
コメントの他にも、お人形売ってないのに、キャッスルの口座にお金振り込んで来る方もいらしたそうです。
うちは、ソフビとサランさえあればいくらでも作れるからこれからもがんばりますよ。
といつか話してくださったことを思い出します。
それから、
スタッフの誰もまだ知らないんだけど、
製造を統括しているデザイナーの木村さんが取締役になるよという発表がありました。
今いま、社長を辞めるわけじゃないけど、一緒に経営やってくよ。って。
時計を見ると、開会から20分近く経っていました。
一緒に頑張ってきた仲間や、お客さんたちの顔を見ながら、大変な時期を振り返ってたので、たくさん話してくださったんだと思います。
続きます。
ずっとリカちゃんが後ろで聞いてくれてたよ。
青字はできるだけご本人の言葉で、黒字は私の主観です。
今日は他の回とは違って、ネクタイをしていません。
みなさんをお招きする立場ではなく、
キャッスルのスタッフも参加者と一緒にご飯を食べたり飲んだり、楽しませてくださいって。
それで福島会場はより特別な会なんだなって思いました。
他の会場では、台本作ったんだけど、今日は無いとおっしゃっていたので、
思いをそのままお話ししている感じでした。
タカラに勤めていた2007年(2006年だったかも?)に、
当時の佐藤会長から、直々に
リカちゃんキャッスルに行って、
リカちゃんの国内販売・製造、と、キャッスル観光施設としての機能を守り続けてほしい。
これは転籍で片道切符、戻りはない。
と命じられたそうです。
ずっと続けていくって大変。社長の使命を感じました。
(2000年前後(うろおぼえ)から、タカラとしてのリカちゃんの製造がどんどん海外に移り、
現在では完全に海外です。ここでキャッスルがなくなっていたらと思うと恐ろしいですね。
キャッスルのおねえさんたちの技術が残って本当に良かったと思います。)
そこから、4つの出会いについて話してくれて、
1人目がリカちゃんの展示もされているさとるさん。
震災の時に再開館した時に、さとるさんが来てくれて力になったと。
2人で定期的に飲んでるとおっしゃってました。(お酒、いいね!)
2人目がデザイナーの木村さんです。
当時、博多さんが
お客さんたちがスタイリングして着せ替えした写真をファイリングしていたそうで、
その中に木村さんのお人形があったそう。
その頃のキャッスルドールは、余ったタカラの既製品ドールの服を着せていて、
それをファンが「追い剥ぎ」と言ってたのが、社長は気になっていたらしく、
木村さんをデザイナーとして採用して服を作ることに
(ファンとしてはキャッスルのクオリティの高いお人形にタカラのとんちきなお洋服が着せられているのも味があったというか、工場の産直っぽくてそのギャップも楽しんでいたと思います。
何着もあるビーズヘアジュディの服と、スクールガールティモテ手の服。みたいに)
木村さんは作家活動もあるので、最初は1年の契約社員として、だったのそうですが、
総務の方が正社員として契約してしまっていた、とのことでした。
(これ、ほんとかなぁ?社長がそうしたんじゃないかなあ??)
もし木村さんが1年でキャッスルを去ってしまっていたら、お城は今のようになっていないのでよかったです!
3人目が協力会社のワンピースの社長さん。(社名間違っていたら申し訳ありません)
キャッスルの彩色シューズとか、ドールの腕とかはこちらの会社が作ってるんですって。
あとはイベント用の在庫の管理もしてらっしゃるそうです。ここはほんとにうろおぼえ
キャッスルのお人形はキャッスルスタッフのみで作ってると思ってたので意外でした!
そんで、4人目がね、
まるっと覚えてないんです。ごめんなさい!
ここで、「ここにいる皆さんです」とか言ったら、ハーイ感動。
だと思うけど、違ったと思う。
福島の方にとって震災は特別な気持ちがあると思います。
私は宮城の人間なのでその気持ちを完全に分かることはできないけど、
これからも理解していきたいと思っています。
震災の時の、原発から30キロしか離れてない距離で、子どもの施設をやるのはもう無理だという絶望感の中、
放射線量が案外低いことがわかって、当時社長が担当していたブログに「小野町あんしん情報」を出し始めてみたところ
携帯の通知が鳴りやまず、みなさんの応援がすごくて、それがとても力になったそうです。
コメントの他にも、お人形売ってないのに、キャッスルの口座にお金振り込んで来る方もいらしたそうです。
うちは、ソフビとサランさえあればいくらでも作れるからこれからもがんばりますよ。
といつか話してくださったことを思い出します。
それから、
スタッフの誰もまだ知らないんだけど、
製造を統括しているデザイナーの木村さんが取締役になるよという発表がありました。
今いま、社長を辞めるわけじゃないけど、一緒に経営やってくよ。って。
時計を見ると、開会から20分近く経っていました。
一緒に頑張ってきた仲間や、お客さんたちの顔を見ながら、大変な時期を振り返ってたので、たくさん話してくださったんだと思います。
続きます。
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